一 自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。われわ れが何をしなければならないかということを指示し、またわれわれが何をするであろう かということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。一方においては善悪の基準 が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている。苦痛と快 楽とは、われわれのするすべてのこと、われわれの言うすべてのこと、われわれの考え るすべてのことについて、われわれを支配しているのであって、このような従属をはら いのけようとどんなに努力しても、その努力はこのような従属を証明し、確認するのに 役だつだけだろう。ある人は、ことばのうえではこのような帝国を放棄したように見せ かけるかもしれないが、実際上は依然としてその帝国に従属し続けている。功利性の原 理(注)はそのような従属を承認して、そのような従属をその思想体系の基礎と考える のである。そして、その思想体系の目的は、理性と法律の手段によって、幸福の構造を 生みだすことである。このような原理を疑おうとするもろもろの思想体系は、意味のか わりに空言を、理性のかわりに気まぐれを、光明のかわりに暗黒を取り扱っているので ある。 しかし、たとえや熱弁はもうたくさんだ。道徳科学はそのような手段によって改善され るのではない。
(注)最近では、功利性の原理 the principle of utility ということばに、最大幸福 またふは至福の原理 principle ということばがつけ加えられ、もしくはそのかわりに 用いられている。それは、その利益が問題になっているすべての人々の最大幸福を、人 間の行為の、すなわちあらゆる状況のもとにおける人間の行為と、特殊な場合には権力 を行使する一人または一組の官吏の行為の、唯一の正しく適切で、普遍的に望ましい目 的であると主張する原理と長たらしく言うかわりに、短く言ったものである。功利性 utility ということばは、幸福 happiness または至福 felicity ということばほどに は快楽と苦痛の諸理念を明快に表現しないし、また影響を受ける利害当事者の人数を、 もっとも大きな割合でここで問題になっている基準、すなわちそれによって人間の行動 の正当性が、どのような状況のもとにおいても判断される善悪の基準を形成するための 条件として考慮するように、われわれを導かない。一方において幸福と快楽、他方にお いて功利性という理念のあいだに、このように十分に明白な関係が欠けていることが、 この原理が受け入れられることを妨げる原因として作用するということについて、私は かねてから十分に気づいていたのである。
二 功利性の原理は本書の基礎である。したがって、最初に、そのことばが何を意味す るかということについて、明快で決定的な説明を与えることが適切であろう。功利性の 原理とは、その利益が問題になっている人々の幸福を、増大させるように見えるか、そ れとも減少させるように見えるかの傾向によって、または同じことを別のことばで言い かえただけであるが、その幸福を促進するようにみえるか、それともその幸福に対立す るようにみえるかによって、すべての行為を是認し、または否認する原理を意味する。 私はすべての行為と言った。したがって、それは一個人のすべての行為だけではなく、 政府のすべての政策をも含むのである。
三 功利性とは、ある対象の性質であって、それによってその対象が、その利益が考慮 されている当事者に、利益、便宜、快楽、善、または幸福(これらは現在の場合、すべ て同じことになるのであるが)を生みだし、または、(これも同じことになるのである が)危害、苦痛、害悪または不幸が起こることを防止する傾向をもつものを意味する。 ここでいう幸福とは、当事者が社会全体である場合には、社会の幸福のことであり、特 定の個人である場合には、その個人の幸福のことである。
四 社会の利益とは、道徳に関する用語法に出てくる、もっとも一般的な表現の一つで ある。このことばの意味が見失われて、はっきりしなくなることがよくあるが、それも 不思議なことではない。社会の利益ということばが意味をもつのは、次のような場合で ある。社会とは、いわばその成員を構成すると考えられる個々の人から形成される、擬 制的な団体である。それでは、社会の利益とはなんであろうか。それは社会を構成して いる個々の成員の利益の総計にほかならない。
五 個人の利益とは何かということを理解することなしに、社会の利益について語るこ とは無益である。あることが、ある個人の快楽の総計を増大させる傾向をもつ場合、ま たは同じことになるのであるが、その個人の苦痛の総計を減少させる傾向をもつ場合に は、その個人の利益を促進する、またはその利益に役だつといわれるのである。
六 したがって、ある行為が社会の幸福を増大させる傾向が、それを減少させる傾向よ りも大きい場合には、その行為は(社会全体について)功利性の原理に、短くいえば、 功利性に適合しているということができる。
七 ある政府の特定の政策(それは特定の個人、または人々によってなされる、特定の 種類の行為にほかならない)は、前の場合と同様に、社会の幸福を増大させる傾向が、 それを減少させる傾向より大きい場合には、功利性の原理の指図を受けているというこ とができる。
八 ある行為、または特殊な場合には、政府のある政策が、ある人によって功利性の原 理に適合していると想像される場合に、論議の必要上、功利性の法則または命令と呼ば れる一種の法則または命令を想像して、問題となっている行為について、それがこのよ うな法則または、命令に適合していると述べることが便利であろう。
九 ある人が、ある行為またはある政策に対して与える是認または否認が、社会の幸福 を増大させ、または減少させるとその人が考える傾向によって決定され、またそのよう な傾向に比例してなされる場合、言いかえれば、功利性の法則または命令に対する適合 または不適合に比例してなされる場合には、その人は功利性の原理の加担者であるとい うことができる。
十 功利性の原理に適合している行為については、それはしなければならない行為であ る、または少なくとも、してはならない行為ではないと、いつでも言うことができる。 また、そのような行為をすることは正しいことである、少なくとも悪いことではないと いうことができるし、そのような行為は正しい行為である、少なくとも悪い行為ではな いと言うことができる。このように解釈されてはじめて、しなければならないとか、正 しいとか、悪いとか、その他同じ種類のことばは意味をもつ。そうでなければ、それら のことばはまったく意味をもたないのである。
十一 以下省略
道徳および立法の諸原理序説、山下重一訳、世界の名著38 ベンサム J.S.ミル
、中央公論社、1967、p.81. より
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