モラルは未来永劫不変ではない
南北戦争が終わったのは1865年だから、わずか150年前には米国で
奴隷制度をモラルに反すると考えていた人は少数派であったといえる。
奴隷制度を認めているということは、奴隷の人権の多くを無視することで、
現代の感覚では理解しにくい。
では奴隷制度のもとではモラルは存在しなかったのか。
多分、現在とほとんど同じようなモラルは存在したはずである。
ただ、奴隷のことを「自由」という人権を与える対象者としては
みていなかったということである。
奴隷以外の市民の間では、
殺さない、盗まない、さらには自由を拘束しない、など、
ほとんど現代と変わらないモラルが活きていたであろう。
しかし、奴隷制度は許せない、人間は誰も人種や性別で差別されてはならない、
という感覚が米国で普通になったのは、明らかに南北戦争以後である。
ここでモラルの中身自体が大きく変貌を遂げたといえる。
医学において「インフォームド・コンセント」という概念が確立したのは
つい最近である。
「人のいやがることはしない」という立場に立てば、真実を告げないこと
こそがモラルを守ることだと考えるのに不思議はない。
しかしこの考えには「人と人は基本的に平等である」という感覚が欠けている。
インフォームド・コンセントという考えが出てきたのは当然である。
現在もモラルはどんどん変化している。
最大の変化は「環境問題」の重要性の増大からきていると思う。
モラルとして守るべき事項はいくつもあり、優先順位が異なっているが、
「環境を大切にする」ことの優先順位は高まっている最中だと感じる。
もう一つは、インフォームド・コンセントとも関係があるが、
専門家と公衆の関係の変化である。
150年前にモラルがどうであったかを考えれば、150年後のモラルが
現在のそれとは変化しているだろうことは容易に想像できる。
人口問題、環境問題が今以上に厳しくなったりして、
長生きすることの是非がモラル問題になるような恐ろしい世界は
願い下げにしたいが。
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