注:杉本泰治、「日本のPL法を考える」(地人書館 2000年)から 著者の承諾を得て抜粋。
カネミ倉庫株式会社は、福岡県北九州市に本社と本社工場があり、 事件発生の昭和43年当時、資本金5,000万円、 従業員訳400名の規模であった。 米糠からとった粗製油を原料にして食用ライスオイルを製造するとき、 粗製油を脱臭する工程での加熱に、 脱臭缶内の蛇管に高温のPCBを熱媒体として 循環させて使用していた。 そのPCBを供給していた鐘淵化学工業(鐘化)は、 わが国で初めてPCBを製造販売していた(製品名カネクロール400)。 株式を東証一部に上場する、わが国の代表的な化学会社の一つである。
昭和43年2月下旬から3月、カネミ倉庫製造のダーク油 (ライスオイルを製造するときの副産物)を使った配合飼料によって、 西日本一帯の養鶏場で鶏が呼吸困難になるなどの奇病が発生し、 40万羽が死亡した。 この段階で、農林省の福岡肥飼料検査所がカネミ倉庫の工場を立入検査し、 家畜衛生試験場に病性鑑定を依頼していた。 人への被害は、同年6月頃から8月、西日本一帯で、吹き出物、内臓疾患を訴える、 いわゆる油症の患者が続出した。 10月、患者の一人が福岡県大牟田保健所に、 使用中のカネミライスオイルを提出したことから、 福岡県衛生部と九州大学医学部等が「油症研究班」を発足させて調査研究を開始し、 11月には、油症の原因はPCBの混入したライスオイルであるとの結論に達した。
カネミ倉庫では、この年の1月末から2月にかけて、PCBが異常に減少した際、 漫然とPCBを補充し、結果として180キログラムものPCBが循環系から洩れて、 ライスオイルに混入した。 さらにPCBの混入がわかった後、 PCB混入のライスオイルをドラム缶約3本に回収し、それを廃棄しないで、 正常油と混ぜて再脱臭して販売した。
届出患者は1万4千人、認定患者は同58年現在で1,824人にのぼる。
PCBの混入は脱臭工程の6基ある脱臭缶のどこかで生じたものとみられ、
その経路について、主たる二説があった。
ピンホール説
6号脱臭缶において、PCBの過熱によって蛇管内に塩化水素ガスが発生し、
それが蛇管内の水に溶けて塩酸になり、蛇管を腐食して腐食孔(ピンホール)が生じ、
通常それはPCB、ライスオイルおよびこれらの重合物によって
充填閉塞されていたのだが、
この脱臭缶の外筒の修理が行なわれ1月31日に再び据え付けられた工事の衝撃で
開口し、そこからPCBが漏出してライスオイルに混入したとする(九大鑑定)。
この説を採用すると、わが国最初のPCBメーカーである鐘化が、
PCBの腐食性などの性質について指示・警告しなかったという、
鐘化の過失が問題になると考えられた。
工作ミス説
油症事件発生後12年余りたった昭和55年になって従業員の一人が 供述したことを基礎に(3)、鐘化が主張したもので、カネミの鉄工係が1月29日に、 1号脱臭缶に取り付けられていた隔測温度計の保護管の先端部分にある 穴の拡大工事を行なった際、溶接ミスによってそれに近接していた蛇管に穴があき、 その穴からPCBが漏出し、ライスオイルに混入したとする。 この場合、もっぱらカネミ倉庫の過失になると考えられた。
この事件では、刑事法上の責任と民事法上の責任とが問われた。
刑事法の責任の問い方は、刑罰を科すことである。 刑法が、犯罪およびそれに対する刑罰を規定していて、 他の法令による罪にも適用される。
刑法に業務上過失傷害罪があり、工場長森本義人は一審でこれによって 禁固1年6ヶ月の実刑判決を受けた。 高裁への控訴は棄却となり、最高裁へ上告したのち取下げ、この刑が確定した。 カネミ倉庫株式会社の代表者加藤三之輔は一審で無罪とされ、 検察も控訴せずに確定した。この二人に対する裁判所の考え方を見よう。
工場長は、旧制工業学校応用化学科を卒業し、油脂・鉱物油の仕事をへて 昭和30年にカネミ倉庫に入社、同36年、 導入された米糠油精製の製油部精製工場主任として現場責任者となり、 同40年、工場長兼製油部精製課長としてその部門の最高責任者となっていた。 実刑とされた理由の趣旨は、つぎのとおりである(2)。 (少し読みにくいかもしれないが、 法学部教師が書くものの一般的レベルに比べれば、このほうがわかりやすい。 法律に関係する文章は難解なものが多いとはいえ、日本の裁判官は、 昭和53年(1978年)にはこのような判決文を書くようになっていたのだ)。
その学歴や職務経験から化学的素養は持ち合わせていたものの、 化学工学や化学機械装置に関してはさほどの素養もなく、 化学機械装置の設計や設計計算をしてその安全性を確認できるほどの 専門的能力は有していなかった。(文献77頁)
このような落度を誘発したのはなによりも被告人のカネクロールの 物性及び有害性に関する認識や理解の不足、 特に人の健康に対する影響に思いを至らさなかったことが大きな原因をなしている。 このことは被告人の情報収集努力の不足もさることながら、 彼にもたらされたカネクロールに関する各情報にもその根源を見出すことができる。 (脱臭装置の)設計者岩田文男からは、それが殆ど人畜無害であると教えられたり、 入手したカネクロールカタログには、 若干の毒性はあるけれども殆ど問題とならず取扱も特段の配慮は不要であり (とあり)、カネクロールのメーカー鐘淵化学においては、 万一その漏出混入という事態が生ずれば重大な結果へと発展する虞のある 食品工業に対しても、それが人体に経口摂取された場合の有害性に関する 十分な情報提供をしないまま、同工業における熱媒体として推奨宣伝して販売した。 (同95〜96頁)
(そういうことだから)本件結果の総てをひとり被告人の責任に帰することは できない状況にあった等被告人に有利な事情をも十分考慮しても、 被告人の過失行為自体、本件結果発生に不可欠の要因となっており、 その過失は重大であり、その結果も極めて重く、その他被告人においては、 本件裁判を通して自らの落度を容認しようとせず・・・(同97頁)
この記述から、一人の技術者が置かれていた立場が思われる。 他方、会社代表者の無罪理由は、
カネクロールの危険性に関する特段の認識もなく、 ・・・それが米糠油に混入することについての予見可能性もなかったのであり、 更に実際上右管理につき具体的個別的な指示や監督をなしうる立場、職責にもなく、 せいぜい本社工場の統括者として、工場長(被告人)をはじめその従業員らに対し、 工場関係帳簿の正確な記帳、それによる資材副資材の使用状況の掌握、 それらの十分な管理の遂行督励等の一般的抽象的な指示をなしうるに止まるもの と認められるから、被告人にカネクロールに関する直接の注意義務はもちろん、 その監督者としての注意義務も存しなかったものと認めるのが相当である。 (同109頁)
この判決の事項を、PL法と不法行為法の主要な用語に対応させると、 つぎのようになる。
| 製造物 | 食用のライスオイル |
| 欠陥 | 含まれてはならないPCB(カネクロール)が 混入していたこと |
| 被害 | 油症による人の生命、身体への侵害 |
| 過失 | PCBの危険性を予見する注意義務があったのに それを怠ったこと |
| 製造業者 | カネミ倉庫 |
(PL法の観点からは、このほか、油症の原因はPCBにあるから、 鐘化について製造物カネクロールの製造業者としての責任が、 また、PCBが漏れた脱臭缶を製造物としてとらえればその製造業者の責任が、 それぞれ問題になる)。
こうしてみると、これが刑事法の判決文であるのに、 PL法の要点と対応していることがわかる。 異なるのは、「過失」が、この判決では犯罪として 刑罰の対象とされていることである。 PL法では、つぎにみるように、刑罰ではなく、損害賠償の対象となる。
刑法の業務上過失傷害罪の規定(表3) と突き合わせてみよう。 「必要な注意を怠り」とあるのは「過失」のことだから、 「業務上の過失によって人を死傷させた者は」と読み替えられる。 不法行為法(表1) と比べると、「・・・する者は」という前段と、 「・・・する」という後段とからなる形は同じだが、その後段の違いに気がつく。 刑法は「5年以下の懲役もしくは禁固または50万円以下の罰金に処する」 と刑罰を定めているのに対して、不法行為法は「損害を賠償する責めに任ずる」と 損害賠償を定めている。 つまり、刑事法の責任の問い方が刑罰であるのに対して、 民事法のそれは損害賠償である。言ってみれば、それだけの違いである。
その違いは、加害者がおカネを支払うときの支払先の違いになる。 刑罰の場合、加害者が支払う罰金は国庫に入る。 他方、民事法は利害調整の法だから、加害者が支払う損害賠償は被害者の手に渡る。 われわれの社会は、人が過失によって他人に被害を及ぼした場合に、 加害者に損害賠償をさせることによって制裁し、その過失が重い場合にのみ、 刑罰を科すことによって制裁する。 カネミ油症事件では、両方の制裁が課された。 社会的制裁として両者は別物ではなくて、過失が軽ければ損害賠償のみ、 重ければ刑罰も、という有機的な関係にある。
なお、民事の不法行為法では、「故意」と「過失」が区別されないが、 刑事法では、「故意」なら罪名が傷害罪に変わって「10年以下の懲役」 または罰金になり(刑法204条)、死に至らしめれば障害致死罪になって 「2年以上の懲役」、つまり2年を下回ることはない懲役という重い刑になる (同205条)。 また、業務上過失傷害罪は、文字どおり「業務上の過失」によるもので、 業務上ではない通常の過失による障害なら刑が軽くて「30万円以下の罰金」 (死亡の場合は50万円以下)になり、懲役がない。
カネミ油症事件の民事の裁判は、昭和43年に事件が発生してから、 同44年2月の福岡第一陣に始まり、一連の訴訟が相次いで提起された (表5)。
刑事では有罪とされた工場長は、ここには登場しない。 被害者が損害賠償を請求するには、被告として、十分な支払能力のある人を選ぶ。 そうしないと、裁判で損害賠償を勝ち取っても被告に支払能力がなければ、 取り立てられないからである。この事件の損害賠償は、 普通の技術者個人から取り立てるにはあまりに巨額である。
損害賠償請求の根拠は、カネミ倉庫と鐘化については、 不法行為法の中心規定である709条である。 カネミ倉庫は、ライスオイルの製造業者として、 PCBの混入が起こらないように注意するとか、 混入する事故が発生したことがわかればそれを廃棄するなど、 慎重な取扱いをすべきであるのにそれを怠った過失があるとされた。 鐘化については、前記の工作ミス説が有力になってからの判決 (小倉第2陣控訴審)は鐘化の過失を否定したが、 それ以外の判決では、食品製造向けの工業薬品、設備、装置等を供給する者も 食品製造業と同じ高度の安全確保義務を負うており、 わが国で初めてPCBの生産を始めた化学企業として人体や環境への影響を 十分に調査研究して取扱い方法を需要者に周知徹底すべきであるのに、 その安全性の確認を怠り、PCBについて当時知られていた危険性さえ 充分に需要者に伝達しなかった注意義務違反(=過失)があるとされた。
カネミ倉庫の代表者加藤三之輔には、二つの立場がある。 一方は、カネミ倉庫に対する判決に代表取締役として名前が出る。 これは加藤個人の責任ではなくて、カネミ倉庫株式会社という法人の責任である。 他方は、不法行為法のなかに代理監督者責任の規定(715条2項)があって、 この事件の場合、事故を起こしたのは従業員の過失であり、 その従業員の使用者であるカネミ倉庫は法人(=架空の存在)だから みずから監督することはできず、代表取締役が代わって監督していたとして、 加藤個人の責任を問うものである。 ちなみに、もしこの人にみるべき資産がなければ、 この規定は利用されなかったに違いない。
カネミ油症事件で、国と北九州市が被告にされたのは、 国家賠償法(表4) によるものである。 不法行為法といえば通常、民法709条から724条までの規定を指すのだが、 不法行為とよばれるもの一般に広く適用されるのでこれを不法行為の一般法といい、 他方、不法行為の特別法とよばれる一群の法律がある。 責任を負うべき人が製造業者であるときの製造物責任法や、 国・公共団体であるときの国家賠償法が、それである。
国家賠償法は、公務員が職務を行なうについて 「故意または過失によって違法に他人に損害を加えたとき」、 国・公共団体がそれを賠償する責任があることを定めている(同法1項)。 損害賠償した国・公共団体は、その公務員にその額を賠償する権利 (=求償権)がある(同2項)。 「違法に」とあるのは、公務員は法律によって職務が定められているから、 それに違反することをいう。
この事件で国に対する請求は、これを認めた判決と認めなかった判決があって 転変したのだが、北九州市に対する請求はいずれも認められなかった (表5参照)。 北九州市は政令指定都市であるため、食品衛生法により県または県知事が 国の委任によって行なう事務のうち一部を除き、 市または市長が処理すべきものとされており、その責任を問われたのだが、 油症事件の発生の危険を予見することが可能であったとは認められない、とされた。
国についての主要な争点は、一足早く発生した鶏のダーク油事件の段階で 国が適切な処置をとっていれば、人の油症の発生をある程度、防止できた、 という見方である。 国に過失があったとする判決の判断の趣旨は、つぎのとおりである。
@農林省福岡肥飼料検査所(福岡肥飼研)の公務員
鶏事故の原因がカネミ倉庫のダーク油にあることを突きとめ カネミ倉庫の工場の実態調査をしながら、「食用油は大丈夫だ」との発言を 聞いてそれ以上の関心を向けず疑念をいだかなかったのは、 職務上の義務を怠ったもので、ひいては食品衛生の行政庁である厚生省への 通知連絡義務を怠った過失がある。
A農林省家畜衛生試験場の公務員
福岡肥飼研からの鑑定依頼により、鶏やヒナで再現試験を行なって 原因がダーク油にあることを確定しながら、「無機性有毒化合物」の混入が 否定されたことから、ただちに、油そのものの変質による中毒であるとする なおざりな鑑定をしたのは、肥飼研の場合と同様の過失である。
B農林本省の公務員
福岡肥飼研から実態調査の報告を受けていて、常時密接に指示する立場にあり、 福岡肥飼研の調査能力がどの程度のものか知る立場にありながら、 福岡肥飼研よりも質的に高度な責任を有する上級官庁としての自覚に欠け、 漫然と福岡肥飼研からの報告を鵜呑みにし、有効適切な対応をせず、 食用油の安全性は権限外のこととして疑念をもたず、 厚生省への通知連絡義務を怠った過失がある。
他方、国の過失を否定した判決は、鶏のダーク油事件から人の健康への 具体的な危険の切迫を容易に知ることができたとは認めがたいとした。
この事件は、最高裁で昭和62年に一部和解が成立したもののなお尾を引く。 カネミ油症事件の被害者は、事故から30余年たったいまも、 食用油に混入していたPCBのダイオキシン物質による後遺症に苦しむ(5)。 PL法は被害者の損害賠償請求を容易にするものであることは、すでに述べた。 しかし、いかに多額の損害賠償を得ても、失われた健康、失われた生命は戻らない。 事故に遭わなかった場合にその人たちが過ごしたであろう生涯に比べて、 そこには法的救済では償えない部分がある。
そうすると、事故が起きてからの救済はもちろん大事だが、その前に、 またはそれと同程度に、事故が起きないようにすることにだれかが積極的に 行動する責任を負わなければならない。
法学が説くところによれば、法には、行動規範としての性格と、 評価規範としての性格という、両面がある。 これをPL法に当てはめると、製造業者は、 PL法による損害賠償を課されることのないよう、 欠陥のない製品を供給するべく注意して行動する、 これがPL法の行動規範としての作用であり、 それでなお欠陥のある製品が出荷されて事故が起きた場合、 その製造業者は製造物の欠陥による事故を起こしたのだから PL法上の責任を負うべきものと評価される、 これがPL法の評価規範としての作用である。
「事故が起きないようにする」についてPL法の行動規範としての作用は、 製造業者が法に定める損害賠償責任を負いたくない、 法による責任の強制を避けようという、消極的な姿勢のものである。 人が他から強制されてしぶしぶ対応するのは「消極的」、 人がみずからの意思で行動するのは「積極的」という。 自分が住む町の公園の清掃作業を創造するとよい。 強制されて嫌々ながらやるのと、自発的に進んでやるのとでは、 成果に差がありうるであろう。 ときとしてその差は、無視できないほど大きいのである。
そこで問題は、だれがその積極的な行動をするかである。 科学技術との関係でいちばん期待されているのは技術者である。 現代の製造物は、ほとんど例外なく科学技術を利用している。 技術者はその科学技術に携わるから、製造物の欠陥をはじめ科学技術から 生じる危害をいちはやく探知し抑止することが可能な立場にいる。 近年、アメリカの主要な専門職技術者の団体の倫理規定が、 「技術者は、公衆の安全、健康、および福利を最優先する」と規定するように なったのは(6)、そういう社会的期待を反映したものである。 品質管理技術は、大量生産のための技術から、PL法のための防備の技術へ、 さらに「攻守の安全、健康、および福利」を保護するための技術へと 変貌しているのである。
以上のことから、製造物の安全確保のために、
品質管理技術とPL法と技術者倫理という三つが、
社会において互いに相関しながら作用している全体像が浮かび上がるであろう。
(以下略)
文献
1) 加藤雅信編著「製造物責任法総覧」(商事法務研究会1994)643頁。
2) 刑事一審判決、福岡地裁小倉支部昭和53年3月24日、 判例時報885号17頁。
3) 小倉第2陣一審判決、福岡地裁小倉支部昭和57年3月29日、 判例時報1037号17頁。
4) 小倉第2控訴審判決、福岡高裁昭和61年5月15日、 判例時報1191号28頁。
5) 朝日新聞1998年6月18日34面「見えない汚染ダイオキシン@」。
6) Harris ほか著(日本技術士会訳編)「科学技術者の倫理」(丸善1998)
443頁。
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