注:杉本泰治、「法と倫理と科学技術の学際的課題」、 科学技術の倫理とリスク研究会 (主査:西原英晃京都大学名誉教授)第9回研究会 講演メモから著者の承諾を得て抜粋。
相次いで提起され長引いた民事訴訟は、最高裁で昭和62年(1987年)3月20日、 鐘化との間で和解が成立した。 (加藤雅信、『製造物責任法総覧』(商事法務研究会1994)654頁) 法による対応は、最高裁が最終であるが、この和解によって、公平な救済が 実現しただろうか。
刑事・民事の判決が、「治癒という言葉を使えない症状」といった表現で、 被害者の深刻な状態を指摘している。 被害者たちは、いまも後遺症に苦しむ。 (朝日新聞、1998年6月18日34面「見えない汚染/ダイオキシン」. この記事にみえている夫、紙野柳蔵さんは、2001年2月、88歳で死去した。)
損害賠償を得ても、失われた生命や健康は戻らない。 事故に会わなかった場合にこの人たちが過ごしたであろう人生と比べると、 そこには法的救済では償えない部分がある。
もし、だれか1人の人による抑止があれば、この悲惨な事件は起きなかった、 あるいは、被害者が少なくてすんだ。 そのことに関係するのは、刑事・民事の上記事件で被告とされた人たちだけではない。 (表)
前記刑事判決によれば、カネミ倉庫では、品質につき社内規格を設けて、 試験室で各工程ごとに品質検査を実施していた。 試験室に勤務する人たちに、できることがあったかもしれない。
カネミ倉庫には、食品製造業者にはガスクロ分析機器(TCB)が必要であると 認め、かつ購入(昭和43年1月)していたほどの専門家である 九大農芸化学出身の今津研究室長もいた。 (加藤八千代『カネミ油症裁判の決着』(幸書房1989)) そうであれば、研究室の人々の立場はどうなのだろうか。
脱臭缶でPCBが漏れた原因について、最後の判決となった昭和61(1986)年、 小倉第2陣控訴審では、工作ミス説が決定的となった。 ピンホール説は、九大工学部・農学部の教授たちによるものだった。
事故原因の正しい鑑定は、公平な裁判を導き、かつ裁判の長期化を防ぐことになる。
カネミ倉庫の代表者、加藤三之輔の実姉で科学者、加藤八千代(東京在住)は、 事故当時、非常勤の取締役だったが、辞任して、事故原因の究明にかかわる。 しがらみのなかで「作業結果を公表することには大変な勇気を必要とした」こと、 そして「数々の生々しい記録」が「食品公害を起こさないために、 また不幸にして起きた際には、ただちにいかなる手を打つべきか」に役立つものと 信じ、「このような信念と科学技術者としての社会的責任感が筆者になければ、 これらの記録は永遠に発表されることはなかったであろう」と書いている。 (加藤八千代「私が抱いた数々の疑問−黙すべき時があり語るべき時がある」 油脂、32巻11号38頁(1979))
たとえば小倉第2陣第一審で、原告が鐘化に対して勝訴した。 この段階で、仮の支払い(=仮執行)を受けることができる。 ある原告(被害者)の一審判決額は、
| 弁護士費用以外の部分 | 7,500,000円 |
| 弁護士費用(7%) | 520,000円 |
| 合計金額 | 8,020,000円 |
| 仮執行認容額 | 1,400,000円 |
ところが、この判決は控訴審でくつがえされ、最高裁へと進んだ。 被害者の敗訴が確定すると、仮執行金を返還しなければならない。 鐘化との間では和解によって、実質的に返還しなくてよいことになった。
国との間では、小倉第1陣控訴審と小倉第3陣一審で原告が勝訴し、 そこで仮執行がなされ、その後、原告が訴えを取り下げた。 ところが、国は国庫会計上の制約があるから、仮執行金の返還請求権を留保して 請求を続け、ようやく99年秋に決着した。
被害に加えて、判決が逆転して仮執行金の返還を迫られるという、
二重苦の悲劇について考えるのは、だれの責任だろうか。
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