ラッドの主張


専門職倫理規程を定めることには次のような問題があるとラッドは主張する。

−倫理規程一般について−
  1. 倫理を構成している内容はまさに争点そのものである。倫理の原理原則をはっき りさせるには議論を続けるしかなく、際限のない作業である。したがって倫理規程は命 令や合意、職務権限で決められるものではない。決められるという主張は、倫理を法律や 政策などの意思決定と混同している。
  2. 倫理の原理原則について合意でき、規程として定めることができたとしても、そ れを他人に課すことはできない。人は自律的なモラル行為者であるとするからこそ倫理 が存在するのであり、倫理は他律するものではない。
  3. 倫理規程違反時に制裁を課すなら、それはもはや倫理規程ではなく規則である。 倫理と規則は区別されなければならない。
  4. だからといって倫理は学会等の組織の活動に無関係なわけではない。倫理は組織 の制度や活動を評価(防御ないし非難)する役割を果たす。しかし倫理は倫理規程等の 名のもとに行われることを評価することに使えても、規程と同一視できるものではない 。
−以下、専門家、専門職と倫理について−
  1. 倫理はあらゆる人が行うことのできるものであるべきで、その際専門職の資格は 不要である。すなわち倫理には専門能力を持っているという意味での専門家はいない。
  2. 専門職にあっても普通の人の義務や責任を逃れることはできない。専門職の規程 は特別な権利を与えるものではない。
  3. 専門職にある者には一般人に対し特別な義務があるとするなら、それはなぜ生じ るのか個別の検討が必要である。
  4. 専門職の倫理問題は、職能集団としてのもの(マクロ倫理)と個人のもの(ミク ロ倫理)に分けられる。
  5. ミクロ倫理の問題の多くは一般人の倫理と変わらない。
  6. マクロ倫理の問題は専門職の役割から生じるのではなく、専門職の権限から生 じる。専門職集団が社会の方針にどのように影響するか、影響すべきかで決まってくる 問題である。
  7. 専門職の倫理規程はミクロ倫理にもマクロ倫理にも何ら貢献しないし、どちら にも分類できない。規則を決め懲戒規程を倫理規程と呼ぶこと自体正しくない。さらに 倫理を権威的に決められるとか、構成員に課すことができるなどの間違った主張を招く 。

倫理規程の目指すものと効果について言われていることに対しては次のように反論でき るとラッドは言う。
  1. 規程は構成員を感化することを目標とする。
    →感化を必要とする人々は倫理規程を無視するであろう。 残りの人々はすでに何をすべきか知っており、規程など必要としない。
  2. 規程は、仕事をするにあたって見落としているかもしれない、モラル側面を想起さ せることを目標とする。
    →モラルは、行為ではなく、感受性と思考の問題である。 規程を作っても、人々が正しい感受性をもち、正しい思考をするとは思えない。規程は モラルを教える最良の手段ではない。
  3. 規程はその集団の誠実性、専門職レベル維持のため、懲戒規程として構成員に構成 員を強制するのに使われることもある。
    →倫理規程は業務過誤の判定をする基準ではない。 非倫理的行動を罰する擬似法律的性質をもつなら、制度はどうあるべきか等の別の問題 を生じる。
  4. 規程はモラル上の難問に直面している構成員に助言を与えることができるかもしれ ない。
    →本当の難問は規程などを見ても解決できない。
  5. 規程は、構成員に期待してよいことと期待できないことを外部に示す効果がある。 構成員は規程を盾にして、外部からの不当な要求を撥ねつけることができる。
    →だとすると規程は構成員に向けられたものではないことになる。
倫理規程には次のような2次的目標もある。しかしラッドによると、これらは明らかに有益ではない。
  1. 専門職業のイメージを高めること
  2. 専門職業の独占を保護すること
  3. 規程自体がステータスシンボルとして役立つこと
倫理規程には次のような有害な副作用があることをラッドは指摘する。
  1. 自己満足に陥る
  2. 非倫理的、無責任は行為の隠蔽に使用される
  3. 専門職業のマクロ倫理の問題への人々の関心をミクロ倫理の問題へそらす可能性が ある(個人の問題より集団の役割の問題が重要)
  4. 多数者の圧制を招く
ラッドの指摘に対するリヒテンバーグの反論も 是非見てください。

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