部下の責任をかぶることの無責任


ある組織が不祥事を起こしたとする。 当然、組織とは個人の集まりである。 我々は「組織の代表的な個人の責任」ばかりを追及したり、 個人の責任というよりは「組織全体の責任」であるとして 個人の責任追及の手を緩めたりするが、 「組織」の責任と組織を構成する「個人」の責任はきちんと区別した上で 明確にしていかねばならない。 それが不祥事の再発を防止する唯一の、かつ有効な手段である。

不祥事が生じるにあたっては、何らかの判断や決定が寄与しているはずである。 事故や故障は単純なミスでも発生するが、 不祥事はもっと意図的に引き起こされるものだからである。 その判断や決定に誰がどれだけ関与したのか、明確にできないはずがない。 しかし実際には誰もが直接の責任を感じていない、 いつのまにか決定され実行されてしまったということが起こりうる。 「なんとなく多数決で決まった」 「部下が、あるいは上司が、きちんとチェックしていると思った」 などの理由で責任の所在を追及しきれないことがよくある。

これは確かに「組織全体の責任」である。 同時に 「誰が責任者かわからない組織を作り上げた者」個人にも責任がある とせざるを得ない。 組織が不祥事を起こしたとき組織のトップが責任をとるのは、 あくまでそのようなおかしな組織を作ったことに対してでなければならない。 ところが我が国ではそういう理由を意識することなく 「部下の責任」を上司がとることが多すぎる。 上司には専門的知識もなく、 なぜ部下たちがそう判断・決定したかもわからないとき、 部下をかばって責任をとるのははたして美徳だろうか。 トップが責任をとったということで不祥事の幕引きをしてしまって 本当に再発を防止できるのだろうか。

不祥事に対しては厳しく対処し、 責任を負うべき割合が1%以下の者についても徹底的に その責任を追及すべきである。 その責任を追及しきれないとき、 そんなシステムを放置したトップの責任は免れない。 その責任をとるにあたっては、組織内での構成員の責任分担の明確化も 同時になされなければならない。 そうでない限り再発は防止できない。

日本の場合、個人の責任をあいまいにする傾向が強い。 書類に何人もの判子を押す決済システムも、 責任のあいまい化につながっているとさえ言える。 トップが腹さえ切れば部下はすべて免責されるという不思議な考え方は、 日本人のDNAに書き込まれ、いつまでも消えないものなのだろうか。

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