SHALL と SHOULD
技術者は物を設計製造するにあたり各種の規格・技術基準を守ることが要請される。
技術基準にしたがって設計製造されたものは、
顧客から基本的な性能を満たしているものと認められ、受け入れられやすくなる。
我が国の代表的な技術基準は日本工業規格(JIS)である。
このような技術基準には技術者が設計製造にあたって守るべきことが書かれている。
その書き方であるが、英語では"shall"や"should"が使われる。
"Tapered thermometer wells of the design shown in the figure shall be used."
といった具合にである。
辞書を引くと"should"は「すべきである」「するのが当然だ」と訳すと書いてある。
一方"shall"は「でしょう」「だろう」となっている。
そこで"shall"よりも"should"を使った場合のほうが
より強く守るべき内容を表していると誤解する人がいる。
これはとんでもない間違いである。
辞書には"shall"は強い意志を表したり命令・規定を表すとも書いてある。
ここを読み飛ばしてはならない。
技術基準の中に"shall"と"should"が出てきた場合、
"shall"のほうが"should"より強い規定なのである。
このため、日本語に訳すとき、"shall"は「しなければならない」、
"should"は「すべきである」などとする。
倫理規程でも同様である。
"Engineers shall avoid deceptive acts."
を、
「技術者は欺瞞的行為を避けるでしょう。」とだけは訳さないでいただきたい。
ではこれは、「技術者は欺瞞的行為を避けなければならない。」
と訳せば正解なのだろうか。
英語の文章のほうは技術者の「欺瞞的行為を避けるぞ!」という意志を感じ取れる。
それに対し「避けなければならない」では誰かに命令されている感じが付きまとう。
倫理規程の場合、「技術者は欺瞞的行為を避ける。」
という文章とし、それを宣言文だと受け取れば英語の感じに最も近くなる。
しかし単に「技術者は欺瞞的行為を避ける。」という文章があったとき、
それが技術者一般の行動パターンを第三者が記述した文章なのか、
技術者自身による宣言文なのか、それだけでは判断できない。
判断できるようにするには「我々技術者は」のように「我々」を追加するなどの
必要がある。
もっと問題なのは、英語での"shall"と"should"の使い分けである。
もし
"Engineers shall avoid deceptive acts."を
「技術者は欺瞞的行為を避ける。」と訳すなら、
"Engineers should avoid deceptive acts."
はどう訳せば良いのか。
こちらを「技術者は欺瞞的行為を避けるべきである。」
と訳したのでは、"should"のほうが強い要請であるように誤解される恐れがある。
「我々技術者は欺瞞的行為を避ける。」と
「我々技術者は欺瞞的行為を避けるべきである。」では
私の感覚では後者のほうが強い。
「我々技術者は欺瞞的行為を避ける。」と
「我々技術者は欺瞞的行為を避けるよう努める。」
とすれば後者のほうが要請が弱いことが伝わるだろうか。
日本国憲法もだいたいは宣言文で書かれている。
有名な第9条の第1項を例にとると
「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,
国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,
国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。 」
のようになっている。
しかし憲法のすべての条文が「・・する。」の形の宣言文ではない。
たとえば第12条は
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,
国民の不断の努力によって,これを保持しなければならない。」
であり、「ねばならない」の文型を使っている。
憲法でさえこの文型の条文のほうが多いくらいである。
「・・する。」の形の宣言文だけではなにかしっくりこないのである。
これは私の想像であるが、
そもそも日本人は宣言するのが苦手であり、
そのことが宣言文を書きにくい言語体系を育てたのではなかろうか。
言葉は時代とともに変わる。
まずは我々日本人は「不言実行」などといわず「有言実行」すなわち
どんどん
宣言して実行するようにならなければならない。
宣言して実行しよう。
そうすれば日本語も宣言文を書きやすいものに変わっていく。
そう思いませんか?
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